『育ててくれて、ありがとう』

『育ててくれて、ありがとう』


  ボク、ママにぜひ
  つたえたいことがあるんだ。
  ボクをそだててくれてありがとう!
  ボクがここまでこれたのは、
  ママがいてくれたから。
  ママのこどもに
  うまれてきてよかった・・・・・・。

  ボクはほこのこよりも、
  よけいにママのてをわずらわせてきたね。
  なんとかここまで、せいちょうできたのも、
  ママとパパのおかげさ。ボクはそのことを
  いつもかんしゃしているんだよ。

  ボクはひとしれぬ
  ママのくるしみやかなしみを
  じっとみまもってきた。
  ボクはいつだって、
  ちいさなカラダのおくで、
  ママにがんばれ!がんばれ!
  ってさけんでたんだよ。

  ボクはしっている。
  いままでママがなんども、なんども
  くじけそうになり、たびたびうちひしがれてたことを。
  そして、ひとりぼっちで、
  なみだもかれはててしまうほど、ないたってこともね。
  ママがなきつかれて、ねむっていたとき、
  ボクはカラダからぬけだし、
  ママをそっとだきしめて、
  なぐさめていたってこと、しってた?

  みんなはボクのことを、
  いろいろときづかってくれるけれど、
  ボクはボク。ほかのみんなと
  すこしちがうところがある、
  ただそれだけさ。それがボクなんだ!
  ボクたちのことを、ハンディキャップをもった
  こどもって、ひとはよぶけれど、
  ハンディキャップというのは、ひとがそれぞれ
  もっている、さまざまな「じょうけん」のことなんだ。

  ボクがこのせかいにやってきたのは、
  このカラダをつかって
  どれだけのことができるか、
  じぶんのもっているちからを、
  ためしてみるためだったんだよ。
  そのためにボクは、さまざまな「じょうけん」を
  じぶんじしんにあたえたんだ。

  みんなだって、よくみると、
  ひとりひとり、ずいぶんちがうよ。
  すがたや、かおだちも。
  みんながおなじだなんて、
  そんなのおかしいし、
  ひととちがうってことのほうが
  あたりまえで、しぜんなことだよね。

  カラダは、ひとがこのよでいきていくための
  うつわのようなものなんだ。
  そして、どのようなカラダであれ、
  それをつかって、どんなじんせいをつくるか、
  どんなことができるか、だれもが
  チャレンジしているんだよ。

  ボクのなかまはたくさんいる。
  じぶんではいきができないこ、うごけないこ、
  しゃべれないこ、ゆびさきや、まぶただけしか
  うごかせないこ。
  たつことも、あるくこともできないこ。
  しんぞうがよわく、めやみみが、ふじゆうなこもいる。
  とつぜんこえをあげたり、じぶんをおさえきれず、
  あばれてしまうこもいるよ。

  でも、いろんな、こんなんをのりこえて、
  みんないっしょうけんめい、いきている。
  かぞくのみんなも、いっしょにがんばっているんだ!
 
  ボクらはくるしみにはまけないし、
  こわがったり、めげたりもしない。
  つらいことは、えいえんにつづかないし、
  ボクたちは、そのくるしみをのりこえる
  ちからをもってうまれてきたって、しっているから。
 
  「じょうけん」は、カラダのことだけじゃないよ。
  せいかくや、かんじかたや、かんがえかた、
  かぞくや、かていかんきょう、そうしたすべてが
  「じょうけん」として、それぞれの「かだい」として
  あたえられている。
  そう、ひとはみな、それぞれの
  じんせいのチャレンジャーなんだ!

  ボクがあえていまのカラダをえらんだのは、
  こんなんなじんせいにチャレンジする
  ゆうきとちからが、あったからだってことを
  りかいしてもらいたいんだ。
  それはママだって、おなじ!
  ボクをそだてるという、たいへんなじんせいに
  チャレンジしているんだよ。

  ハンディキャップって
  じつはなにかにチャレンジするための
  チャンスといってもいい。
  おおきなハンディキャップを
  かかえているひとや、そのかぞくは、
  チャレンジせいしんにあふれてる、
  すばらしいひとたちだ。

  ひとが、マラソンでながいきょりをはしったり、
  けわしく、たかいやまにのぼろうと
  してみたりするのは、なぜだろうね。
  ひとがそれぞれの「じょうけん」のなかで
  チャレンジするのも、それとおなじなんだよ。

  じつをいうと、ひとのじんせいって、
  1かいこっきりのものじゃないんだよ。
  だれもが、いままでなんども、なんども
  このよにうまれ、そして、さまざまなじんせいに
  チャレンジしてきたんだ。

  そして、そのときそのそきのじんせいを
  ともにすごすかぞくや、まわりのひとたちにも、
  それぞれのはたすべき「やくわり」が
  あたえられていて、みんなでともに
  せいちょうしようとしているんだよ。

  ボクはこのせかいでは、
  ふじゆうのようにみえるけど、
  ボクのほんとうのすがたをしったら、
  きっとママもパパもおどろくよ。
  ボクのたましいは、かんぺきさ!
  そのちからづよさと、かがやきを
  かんじてほしいな!

  ボクがこのカラダをえらんで
  このせかいにうまれたってことは、
  すごいことなんだ!
  そして、きょうまでやってこれたのは
  きせきかもしれない。
  ママとパパとみんなが
  こころをよせてくれたおかげさ。
 
  これから、ボクがどういきていくか、
  たしかにそれはたいへんかもしれないけど、
  ボクには、なかまがいるし、てだすけしてくれる
  ひとたちもたくさんいる。
  しゃかいも、すこしずつだけど、ボクたちのような
  チャレンジャーに、りかいをふかめつつある。
  そのためにも、ボクたちはがんばっているんだよ。

  いろんなひとが
  いろんなじんせいをおくっているけれど、
  どんなにくるしいじんせいだって、
  だれもがかならず、のりこえられる!
  だって、そのじんせいは、もともと
  それぞれのこころのおくふかいところで
  けいかくしたんだから。

  ボクがママのこどもにうまれたのは、
  ママにあいたかったから。
  ママのあいを、だれよりもひつようとしたから。
  そして、ボクがパパのこどもにうまれたのは、
  パパのゆうきを、だれよりもひつようとしたからなんだ。

  ママにそだててもらえて、
  ボク、ほんとうにしあわせだよ!
  ママ、パパ、ありがとう。
  ボクをたいせつにそだててくれて、
  ありがとう!

  これから、なんどうまれかわっても 
  ボクはママたちといっしょだよ。
  おたがいがんばって、それぞれの
  じんせいのチャンピオンになろうね!


      書籍名:『育ててくれて、ありがとう』より
      著者名:葉 祥明
      出版社:サンマ-ク社

 


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